カフェの学校に通い、カフェを開業しようと思ったきっかけの特集パート1(カフェコースの受講生の声)
受講生のカフェ業界で開業をしようと思った最初のキッカケや、カフェ開業の夢に踏み出そうとしたキッカケ、決意をまとめました。
1.カフェ業界で開業をしようと思った最初のキッカケ
◆20歳の頃、漠然とした思いで、将来、喫茶店とかパン屋とか自分のお店を持ちたいと考えた事がありました。業種はふと思いつきですが、人から指示されて動くのではなく、自分の考えで、自分の責任で仕事がしたいと思ったからです。
◆以前から組織で働くことに満足せず、自分で会社経営することに興味を持っておりました。
夫の趣味であるロードバイクに付き合いはじめ、自転車を安全に預けられ休憩できる飲食店が非常に少ないことに気が付きました。漠然とですが、この業界はニッチな市場であるが今後更に認知度が高まり人気がでる業界だな、感じていました。
◆高校生の時、父の会社で喫茶店をやっており、そこでアルバイトでしたのが喫茶店との出会いでした。その後、珈琲が専門のお店や、お料理が美味しいお店などでアルバイトさせていただきました。珈琲の香り、お客様との楽しい会話、美味しい食事メニューはとても魅力的でした。
◆今現在住んでいる家が築30年以上になり、だいぶ痛んできた。冬は寒く夏は暑い家。クーラーは昔はしゃれていた壁内蔵型。今は動かず壁を破壊しないと取り替えられない。住み心地は今一つ。今住んでいる家の敷地内には親の所有する古民家が建っている。こちらは築175年。10年以上前から古民家を支援する団体に登録し、欲しいかたがいたら売ることを考えていたが(支援団体が調査しながら解体、購入者が解体費用、移築費等を持つ)10年以上ネットに載せて、何人かが見学に来たが、「広すぎて購入できない」という返事が多く売れなかった。母は高齢になってきてどちらの家を修繕するか私の姉妹(3姉妹)で話し合った。結果、残す価値のある古民家の方を修繕することに決めた。住むには広すぎるので、半分は住居、土間のある側の残り半分は何かに利用することに決めた。起業するのに商工会議所等に相談に行ったりした。デイサービス、学童保育、レストラン等考えたが開業イメージがわかず、その頃カフェと古民家が流行りはじめ、3年前から始めた貸農園がうまくまわってきたこともあり、畑に来る方や地域の方がホット息のつける空間を作ろうと決めた。
◆私は、小さい頃から「調理」について興味を持ち、作った料理を両親や親戚が食べて喜んでくれた事が嬉しく、心に残り、「食で人を笑顔にし、幸せになってもらえたら・・・。」と思い、高校3年生の進路を決める時に「調理師専門学校」への進学の想いを寄せておりました。
いつからかと思えば、「自分の店をつくりたい」という願望は、長いこと思い続けている。劇的なきっかけは、特にないが、家の近くに自宅のガレージを改装して、アップルパイのお店を開店した方がいて、そういう方法もあるなと思ったこと。
◆もともとカフェという場所に興味がありました。他の販売種目と比較し、購買客(来店客)の年齢層が幅広く、話題性がある商品が絶えず生み出されていることは魅力があると感じています。また食を楽しむことと、空間を・時間を楽しむことのできるカフェは私の生活の中に根付いておりました。いつしかこの空間を自身で生み出し、他者に提供したいということが私の目標となっておりました。
◆今年の夏前までは全く畑違いの業種を営んでいました。前の業種は安定してきてはいたのですが、今後の展望や長期的な将来性を考えた場合に、ほかの業種も力を入れていきたいと思ったのがきっかけです。
そうこう考えていたところに、早期リタイヤという形を取れたので、少し前から考えていた他業種への参戦を決めました。しかしながら過去に全く触れたことのない事業となると年齢的にも技術的にもなかなか厳しかろうと思い、過去の実績が多少なりともある、飲食でのリスタートを選ぼうと思いました。過去の飲食はバーとレストランの経験が多少ですがありましたが、今回はそこを完全に踏襲するわけではなく、かねてより興味があった『カフェ&バー』のスタイルでやっていきたいと決めました。なぜ興味が沸いたのかというと、以前の仕事で外回りをしている途中に、当然ながら外食することが多かったのですが、普通の定食屋、それから、こじゃれたレストラン。ファストフードと色々外食する中で、非日常を感じられることが多かったのが、このカフェ&バーというスタイルでした。お客様にゆっくりとした時間を過ごしていただきたい。自分が過去にリラックスできた体験を他の方にも感じてもらいたい。そんな漠然とした理由ですがこの業界を選んだキッカケとさせていただきます。
◆子供の頃から料理やお菓子作りが好きで、よく作り親兄弟に振る舞い、ほめてもらえたのがとてもうれしかった思い出があります。父親が調理師だったこともあり、自宅の包丁は切れあじがよく、濡れたまま放置すると錆びてしまう鉄製のものでした。自宅で父が刺身を切る姿や調理をする姿を目にする事があり、知らず知らずのうちに料理を作る面白さ楽しさなど感じていたのかもしれません。そして、出来上がった料理をみんなで一緒に食べ、美味しいを分かち合うそんな楽しかったおもいでが、私がこの業界を選んだ原点なのだと思います。
◆土地の有効活用を検討する中、昨今のカフェブームで個人経営を含め開業や店舗数増加が続いており、今後淘汰されることもありうるが、初期投資額によっては一時利用を想定しても数年で回収できるモデルケースが設計できるのであれば、考えてみるべきではないかという結果に至った。以前から飲食店利用時に、原価をつい考えてしまう事が多く、利益率も本業と比較し良いと感じている。(ただし、あくまでも本校で学び採算性の有効判断が行われた場合)また、昨今の障害者雇用の観点から、講習会等に参加するにつれ、企業として今後それらに対応すべき環境でのリンクができないかと考えたことも理由のひとつである。この点の実現可能性についても同時に検討していきたい。
◆高校生のころ、福岡県福岡市早良区にある「Aroma」というお店に行ったことがきっかけです。自身が家族と楽しい時間を過ごせただけではなく、ほかのお客様も笑顔で過ごしているのを見て、自らの手で「楽しい時間を過ごせる空間」を作りたいと思いました。
◆私は人の喜ぶ顔を見ることが好きです。同じことをするなら、人が喜ぶようにしたいと考えます。また、コーヒーを淹れることと飲むこと、スイーツを作ることと食べることが好きです。これらのことをカフェとして生涯の仕事にできれば幸せと考えるようになりました。
◆30年近くやってきた仕事で悩み、(もう、やっていけない!)と心が悲鳴を上げた時、自分のお店を持ちたい!と突然思いました。きっかけは「逃げ」かもしれませんが、だんだんその思いは膨らんできました。
◆想いが膨らんできた後になって、どうして「自分のお店」という考えが浮かんだのか、考えてみました。私は、食べることが好きで、休みの日は、朝から(お昼に何を食べようかな。)と考えてしまう人間です。さらに、特別お料理が好きとか得意とかではないのですが、きれいなお皿に盛って楽しんだり、味わいのあるコーヒーカップで飲むのを楽しんだりすることが好きです。
◆さらに、昨今、テレビで「中高年になってからこんなカフェを開きました」とか「思い切って店を持ち、自分のペースでやっているが、お客さんにも喜んでもらっている。」などと言う番組を目にすることが増え、(私もできたらいいな。)という想いをもっていました。そんなこんなことが、私の「夢」のベースにあるのかな、と考えます。
◆今にして思うと、子供ころ母がバランスを考えて食事を作ってくれることが多く、その影響か自分も1日の食事バランスは何となく気にする方でした。いつからか、1日の中で野菜が摂れなかったり、摂れる品目数が極端に少ないと、体に悪い気がすると意識するようになっていました。そのため、「食と健康」ということに関しては栄養的な面からも学生のときから興味をもっていましたが、その後は、健康に寄与するという視点から、医薬品に関する仕事に就くようになりました。実際に仕事をしていると、病気があったり健康意識が高い人はサプリメント・健康食品を使用する人が多いのですが、一方で意外と食事バランスには意識が低い人も多く、やはり健康を維持するには食事が基本だと再認識するようになりました。
◆そこで顧客(時に患者)に「食と健康」という視点からも何か提供できないかと考え、そのスタイルの一つとして、特定の顧客層ではなく、比較的に誰もが入りやすい飲食の業界に興味をもつようになりました。
◆友人からカフェを開きたいので店長をやってほしいと依頼されたから。
◆私は料理を作ることと、コーヒーが大好きで、社会人になってから落ち着いた店でコーヒーやフードをいただき、静かな空間にひたることが何よりの楽しみで、定年退職したら、そんなお店をもちたいと漠然と考えていました。
◆飲食とは全く違う業界で仕事を行ってきていたため、知識・経験不足によるものと、前職では中核となって仕事をしていたため、なかなか仕事を変えるキッカケが得られなかったのが理由となります。
◆社会人になると会社で読む時間のない資料を時間外に読んだり、自発的に勉強したりすることが多くなります。その際にカフェを利用しています。特に語学の勉強では先生とカフェで会い1~2時間教えて貰うことがあります。日曜の朝などは周りを見渡しても同様に語学を学んでいる人、打合せを行っている人が多いです。但し、時間によってはどこのカフェも満席で諦めざるを得ないことが多々ありました。また、とても疲れている時には10分でいいので横になれる場所があったらと常々思っていました。だったら、予約できる&疲れを取ることができるカフェを作ってしまえばいいと思い立ちました。
◆学生時代に、和食レストランの厨房でアルバイトをしていました。それは、母方の祖父が若い頃、料理人をやっていたということもあり、飲食店でのアルバイトを経験してみたいと興味を持っていたからです。そのアルバイトは、洗い場が中心でしたが、2、3ヶ月働くうちに、揚げ場と焼き場も任されるようになりました。揚げ場担当のときは、社員さんが仕込みを済ませておいてくれた食材を使ってポテトフライや唐揚げなどの調理をします。和食レストランですので、穴子の天婦羅、鱧の唐揚げ、田楽ナスの揚げ物などのメニューもありました。穴子の天婦羅は、社員さんからやり方を教えて頂きました。焼き場担当のときは、ほとんどが焼き鳥ですが、焼きはんぺん、ステーキ定食などもありました。焼き場は、ほぼ仕込みが終わっているものばかりですので、焦げないように焼くという作業が中心でした。しかし、飲み物と他のオーダーとのバランスで出来上がりのタイミングを見計らう必要もありました。料理の提供する順番を気づかったり、調理場というお客さんには直接見えない場所での心遣いが、格好いいと感じていました。裏方気質が好きです。
◆社会人になってから、主に営業職を中心に行ってきました。その営業活動で、外回りをしている時に喫茶店(カフェ)によく立ち寄っていましたが、店により美味しいコーヒーや紅茶があること、また当然の事であるが雰囲気や内装もそれぞれ違い、それにより気分の高揚が変わってくることに興味を引かれた。例えば、贔屓の喫茶店が有れば、仕事後にそこに行こうと妙にウキウキしながら仕事に臨んだりしていました。この高揚感の正体は一体なんなんだと興味が沸き、最初にこの業界に興味を持ったキッカケです。ただ、既に喫茶店は飽和状態に感じ、この業界は頭打ちになったと私なりに分析していた。それが、スターバックス(以下スタバ)が市場を席巻(セッケン)していくことに衝撃を受けた。私の祖父母が、麻雀店(マージャンを遊戯する場所を提供して時間制で収益をあげる店)を経営し、亡くなる寸前まで(2010年頃)しておりました。麻雀店は祖父が戦争から引き揚げ開業しました。戦後間もない日本はあまり娯楽もなく、祖父母の麻雀店の周りには麻雀店が至るところにあり、それは熱い業界でした。私が生まれた1975~1985年ぐらいまだは、祖父母の麻雀店に行くとそれはそれは繁盛しておりました。だが、徐々に日本人の娯楽も変わり、祖父の周りの麻雀店は次々と閉店していきました。そのことから、ものごとの流行り廃りは時代の流れに大きく依存するものだと私なりに学んだ。時代には勝てないのだと思いをもった。さて、以前は喫茶店飽和状態でもうダメだと思ったが、スタバが出てきて、私の予想は見事に裏切られました。祖父母の店を見てきた経験から、時代だと簡単にもの事を決めつけていたが、そうとも言い切れない部分があることに気付き、スタバと比べるのはおこがましいが、時代のせいにしてほぼ全否定するのではなく、やり方で勝者になれるのでないかと思いをもちました。そして、私も好きなことを工夫して行いこの業界で勝負してみたいと思いキッカケとなった。
◆調理系の学校に入ったりイタリアンで8年程働きましたが、自分がはたしてお店を出すことができるのか、そしてそんな力量が自分にはあるのかがわからなくなりました。
◆元々、大家族で育ち、家族に振るまう料理をおいしいと食べてもらえる嬉しさを強く感じていました。東日本大震災で避難している今知ったのは、個人経営でひとりでもカフェを営んでいる方が多くいる事で興味を持ったことがきっかけです。
◆私がこの業界に興味をもったきっかけは、自分の料理を喜んでくれたり、自分の好きなものに共感してくれたことです。元々カフェの料理が好きで、自分でも作るようになり、それを家族や友人に食べてもらったとき、とても幸せな気持ちになりました。そこから、いろいろなカフェを巡るようになり、自分好みのカフェを作りたいと思い始めました。まずは行動!と思い、カフェでアルバイトをして、接客やキッチン業務などの基礎的なことから、個人店での大切にしていくべきことを学び、ますますカフェに対する気持ちが高まり、リライブへの入学を決めました。
◆結婚後、お酒が好きな主人が 居酒屋めぐりをすることが好きだったせいか 飲食には漠然と興味はありました。おしゃれな喫茶店でコーヒーを飲むことも好きでした。近所にこじんまりと一人で週3日やっているカフェがあり、ちょっと気に入っていました。昨年、知り合いのカフェでコンサートがあるので見に来ないかと誘われて行った時に 急に、これからでも将来カフェができたらいいなと思いたってしまいました。
◆社会人として働く中で、落ち着ける空間のありがたさを感じるようになりました。その中で、ゆっくりとコーヒーが飲める喫茶店という空間と、それを提供することへの軽い憧れを抱くようになりました。
◆元々料理は好きだったが、一度ストレスでご飯が食べられなくなった時、本当の意味で「心と食」について考えるようになった。その後、東洋栄養学・西洋栄養学を並行しで学び、「食」「身体」「心」の相互作用と現代人の抱えるストレス、食文化や歴史について注力するようになる。
・自分が出来ることは何か考えた時に、「食」を通して人に安らぎを与えたいと思った。今まで習得してきた知識を何かの形でアウトプットしたい。
・昔、表参道にあった「月心居」。料理一つひとつが丁寧で、妥協がなく、食材に力があった。疲れた仕事帰りに食べに行き、涙が出る位感動して癒されたのを覚えている。食に対する真摯さを学び、憧憬の念を抱いた。
・ナチュラルを売りにする店は多い、大手チェーンもオーガニックやビーガン、日本の発酵食に注目しはじめている。しかし、実際は間違いだらけで、刹那的な情報の奔流に流されている。見せかけではなく、地に足のついた店が少ないのも私がこの業界を選んだキッカケの一つだ。
◆幼少の頃から食べることが好きで、社会人になってからは飲食店を食べ歩いていました。様々な業態の飲食店に行く中で、オーナーの個性が店舗や料理に顕著に表れるカフェに魅せられていきました。カフェには、オーナーの好きなものが散りばめられています。また、オーナーは心のこもったおもてなしをしており、滞在するだけでも元気を貰え、自然と幸せな気持ちになることができました。次第に、自分の店舗をもち、お客様に笑顔と幸せを届ける側になりたいと思うようになりました。
◆40歳を過ぎて、優れた怪獣フィギュア造形師の作品に出合い、以降、それまで全く興味の無かった特撮モノのフィギュアを集め始めるようになり、それが膨大な量になりました。それらを展示する場所なぞ自宅には当然なく、展示場所として〝グリコのおまけ付きキャラメル箱〟のような飲食店が欲しい、経営したいと思うようになりました。〝グリコのおまけ付きキャラメル箱〟のような店とは、1階が飲食店で、2階が特撮モノフィギュアのギャラリーという構成の店です。1階の飲食店をスタバのようなカフェとし、カフェのお客様は無料で2階のギャラリーを楽しんで頂ける2段構えです。2階はグッズショップも兼ねます。飲食店をカフェとしたいのは、会社員として外回りをしている際、空き時間に入れるカフェは仕事と息抜きができ、また、知人と会話もできるオアシスのような場所と強く認識したからです。私にとってはスタバが理想のカフェですが、独自の〝売り〟が欲しいと考え、通勤沿線にある某パン屋さんの、幸せ感をもたらしてくれるパンに出会い、感動したことから、自分の店の〝売り〟をパンにしようと決めました。飲食店を目指したのは、大学生時代、また、卒業後も2年ほど喫茶店でアルバイトをし、厨房及びホールも担当し、その仕事に楽しさと充実感を覚えた事があるからです。
◆専門家、職人のような仕事をしていきたいと思ったため。生涯追究していきたいと思えるものを仕事にしたいと思った。その頃趣味で豆からコーヒーを淹れており、コーヒーを仕事にすることを考えリライブのドリンクの授業に通い始める。授業を通してコーヒーはもちろん、その他のドリンクにも興味を持つ。また、ドリンクとサービスのプロフェッショナルとしてのバリスタに憧れを持つ。
◆小学校の家庭科の授業で料理を作って、おいしかったので、作ることに興味をもちました。また、実家の近くには、ほとんど外食をするような店がなく、普段は外食しなかったのですが、たまに食べに行くとなると、とても、楽しく、うれしい気持ちになったので、いつの間にか同じ様に人に作ってあげたいと思うようになりました。
◆学生時にファミリーレストランでアルバイトに従事していました。フロア係りでしたが、ある日社員の方から
アルバイト時間内はお客様の誘導からレジ迄フロア責任者として業務を行う様指示を頂きました。他スタッフへの指示と教育やお客様と接する奉仕の精神に深い喜びとやりがいを感じる事ができ「この仕事は自分にあっている」と思いました。アルバイト終了時には「社員として働かないか」と言われた事も自信になっていました。当時の事は時々思い浮かべる程度でしたが2~3年前からこれからの生き甲斐を考えるようになりました。何故か他業種の事は思い浮かばずに飲食業界ありきで考えている自分に気づきました。学生当時の想いを次世代の方に感じてもらいたい、お客様と接する事の喜びをまた感じたいと言う思いが強く湧いてきました。地域の活性化及び貢献も含めて「飲食店を開業する」に至りました。
◆大学生のころからカフェに興味があり巡っており、漠然といつかカフェをやってみたいと思っていました。写真も好きで個展の経験もあり、空間づくりのおもしろさの観点からもカフェをやってみたい気持ちが強くなりました。管理栄養士の妻ともカフェ開業の話で意見が合い、開業に向けて資金を貯めることからスタートし、現在に至ります。
◆①大学時代に近所のうどん屋(個人経営)でアルバイトをしたのが最初のきっかけである。ホールから厨房まで教えてもらい、在籍していた3年間で、店長不在時も店を切り盛りできるようになった。自分が作った料理を食べたお客様が「おいしい!」と言って喜んでくれるのが何よりもうれしかった。卒業する頃には、店長から「一緒にうどん屋をやらないか」とお誘いを受けた。
②28歳の時に、銀行を退職し上京。一時、フリーターになった。その際、東京でそば屋を営んでいる親戚のところでアルバイトをさせてもらった。毎日来店し同じ物を食べ、そして喜んで帰っていくお客様をたくさん
見て、「食べ物は人を幸せにするんだなあ」と感じた。
③現在の勤務先で出会った彼女とは、甘い物が好きという共通点があり、休日になるとよく食べ歩きをしている。甘い物を食べることができて、かつ、ゆっくりとくつろげそうなお店を探して出かけている。いろいろ行ったお店の中で、原宿のパンケーキ店「エッグスンシングス」が最も衝撃的だった。入店までに長蛇の列に並ぶ必要があるのに、並んでいる人がみんなワクワクした様子で待っていて、店内で食事をしている人もみんなうれしそうにしていた。改めて「食べ物の力はすごいな」と感じると同時に、「自分も人を幸せにするようなお店を経営してみたい」と思った。
◆愛知県出身なので、喫茶店は身近にあり、常に人が集まる場場所でした。今でも、人との待ち合わせ、のんびりしたい時や本を集中して読みたい時など気が付くとカフェを利用しています。自分で何かを始めようかと考えた時、動物と一緒に仕事がしたいと考え人も動物もゆったりできる空間に、私もいたいなと思い、開業を考え始めました。
◆もともと料理をしたり、おいしいものを食べることが昔から好きでした。実家の近くに、小さいときからよく通っていたカフェがそこで出されるパスタやサラダ、手作りデザート、かわいいラテアートはおいしいだけではなく、楽しくて幸せな気持ちにさせてくれるものでした。なによりそのお店の、こじんまりとしていて、ゆったりとした雰囲気が大好きで、高校生くらいの時から漠然とこんな風にお店ができたらなあと考えるようになりました。
◆1.カフェ業界に興味を持ったのは1年くらい前です。現在の会社勤めにおいて、自分の年齢と能力、今の会社の風潮(若手起用)等の条件を考慮した時自分の求める仕事を実現させるのが、今後難しいのではないかと思っていました。今の会社ではこれまでやりたかったことはやりきった、と言えないこともないと思ったので、冴えない中間管理職をただ続けるよりも、自分の趣味(マンガ・アニメ・玩具好き)や財産(コレクション)を生かした仕事を始めても良いのではと思い始めました。
2.会社を辞めることも視野に次を考えていた時に、本屋で「小さなカフェ」の作り方という本が目に留まり読んでみたところ、全て自分の目の届く中で、自分のこだわりを貫くカフェの運営する、というのも面白そうだと思い、少し研究を始めました。自分は(悪気は無いですが)人とのつながりを積極的には維持できないタイプなので、全て自分で完結させられる仕事というのも良いのでは、思ったのです。
3.自分のコレクションしているマンガや玩具も、このまま年老いて死んでいくとただのゴミになるだけ(息子はこの手のものに興味ないので継ぐことも意味ないと思い・・・)と思っていたので、マンガ喫茶のようなマンガ量と博物館のような玩具の量と質のテーマカフェが作ることでコレクションが活かせるのと、他店との差別化と独自の魅力出しもできると思いました。
4.実際、会社を辞めて独立を検討したのですが、家族の反対に会い、自分のお店は定年後にやろうと
考えを改めました。その代り、今の会社でこの湧いた興味を活かす方法がないかと思い、「自社キャラクターブランドのテーマカフェ事業」を提案しようと考えました。
◆大学生になり始めてのバイトが喫茶店のウエイトレスでした。そこは銀座の歌舞伎座の近くにあり、色々な種類のオムライスやケーキセット、パフェなどを出すお店でした。そこでまかないでいただいたオムライスはとてもおいしいものでしたが、思い出すことはそこにいらっしゃるお客様のことです。毎回同じメニューを注文し、お水は常温のものと決まっているおじさん。社内恋愛禁止のため、ここで必ず待ち合わせをしてるカップル。中年のおじ様方がたまにはと言いながらいつも頼む甘い大きいパフェ。レジ担当の年齢不詳のおばさん?おばあちゃん?が来る客来る客に友達のように声をかけられている。などなど。あまり綺麗ではないお店でしたが、今考えるととても居心地がいいお店だったのかなと思います。それから何軒か喫茶店でバイトをしていくうちに、みんながくつろげるお店って素敵だなと思ったのが興味を持ったきっかけだったような気がします。
◆私は学生時代、サラリーマン時代と社会や会社への不満を持っていました。その不満とは仕事や会社が嫌いなのでなく、経営陣と一般社員でお互いの利益を最大化できていないと思うことです。。それは目的への熱意や考え方に大きな隔たりがあるためと思います。しかし、今までは一般社員(雇われの身)の立場でしか物事を見れず、経営者側の視点は成功者の著書などを見るしかありませんでした。そのため一度自身で経営を経験し、可能であれば経営者と一般社員で利益を最大化する方法を得られればと思っております。この業界を選んだ理由はカフェが好きであることと、自身の趣味を兼ねることができる事業と思ったためです。
◆以前、とてもショックな事があり、毎日泣いて過ごす日々があり、そんな時、美味しいコーヒーを飲んで、ほっとできる自分に気が付き、「おいしいものは、疲れた心をいやすことができるものの一つではないか。おいしいものは、人に幸せを与えることができるのではないか。」と考えるようになりました。同年3月に東日本大震災が発生し、苦しんでいる被災地の方々を目の当たりにしたとき、自分にもできることはないのか、苦しんでいる人の力になれることはないのかと考えました。考える中で、「おいしいものを提供し、心の疲れた方が安らげる空間を提供したい」と強く思い、大好きなコーヒーで、ほっと一息つける喫茶店を開業しようと思いました。
◆2012年12月、テレビ番組 「ガイアの夜明け」 で取り上げられていたレストラン「カシータ」の飲食サービスを見て、ロイヤルホストでホールスタッフをしていた私はサービスレベルの高さに驚き、ウエイターという仕事に興味を持ちました。
◆いつからこの業界に興味をもったのか分からないくらい前です。20年以上前から少しずつですが、だんだん明確にはっきりとした確信に変わってきました。私は食べることが好きで美味しいものを食べると幸せになり、ストレス解消も食べることでした。また、だれかに喜んでいただけると自分も嬉しくなり同じ仕事なら相手に幸せをあげられる職業に就きたいと思うようになりました。以上の2つを合わせ食べていただくことでハッピーになってくれるような仕事がしたいと思うようになり、幸せを売る自分のカフェを持ちたいと考えてたのがキッカケです。
◆親戚(叔母)と父親が喫茶店を営んでおり、以前から店を継ぐ話は出ていたが、特に継ぐ意思もあまりなかったので会社員として、社会に出て仕事に没頭。仕事自体はかなりハードであったが、収入はそれなりに得られる様になってくるも、十数年前から、顧客に対して、自分に対しても正直に商売をしたいと考え始め、その実現の場所として父の営んでいる店を意識するようになる。
◆私は高校生の時、授業を通じ、初めて庭や樹木の魅力に気付きました。高校卒業後は、造園会社に就職し、代々木公園、表参道、皇居等の樹木の維持管理業務や、特別史跡特別名勝である小石川後楽園の大泉水(内庭)護岸修復工事及び、石橋修復工事の施工管理業務に携わり、大変貴重な経験をさせて頂きました。以前から庭の設計、施工、管理を行う造園会社を開業したいと思っていましたが、3年ほど前に断念しました。今の時代、新たに庭を造る家庭は少く、庭を持っている家庭も取り壊すなど、減少の道をたどっているからです。その理由とて、庭に興味がない、庭を造るほど土地がない、庭の手入れにお金がかかるといった事情がほとんどだと思います。それから私は庭の魅力をもっと多くの人に伝える方法はないのかと考えました。そこで思いついたのが庭カフェという新たなジャンルでした。
◆これまで3年間学習塾を経営してきたが、教育業界の他で個人資金・少人数でも可能なビジネスとして食ビジネスに興味を持ちました。これまで起業のために忙しなく働いてきましたが、わずかに取れる休暇の中で訪れた街中や旅先のカフェに癒され、コーヒーに興味を持ったことをきっかけに、数ある食ビジネスの中でもカフェという業態を選びました。
2.カフェ開業の夢に踏み出そうとしたキッカケ、決意
◆子育てもそろそろ目途がたち、これからは自分の為に目標を持った生活を送りたいと思った時、再び自分のお店を持ちたいという憧れを持ちました。妻も趣味を活かして、手芸講師となり、雑貨屋とパン屋のコラボしたお店を持ちたいと思い始めました。
◆悩み続けている間に、起業したい意欲と職場でのストレス(患者との距離間によるストレス)感情が沸き、接客業が好きなことに変わりはないが適度に人との距離を保てる飲食業に挑戦してみよう、という気持ちが徐々に湧いてきました。また、リライブの体験授業や説明会を受け、金銭的な心配も軽減したことが前進するきっかけになっています。そして、スポーツを好む者として、スポーツをする人に安心して休憩できる環境や、喜ぶメニューを提供したいと思うようになりました。
◆夫と二人で5年後に実家である愛媛に戻ることになり、自分は田舎で何をしようかと考えた時に、昔好きだった喫茶店のことを思い出しました。ここ数年で両親が続けて亡くなり、空き家になった実家をリフォームしてお店をやりたいと考えるようになりました。実家のある今治市は人口に対する喫茶店の数がとても多く、かなりのお年の方でも日常的に喫茶店で食事したり、珈琲を飲みながらおしゃべりをする習慣があります。地域の方に貢献しながら、自分自身も成長していける場所を作るのが理想です。
◆カフェを巡り続ける日々、ようやく憧れや刺激を受けるカフェに出会えたのが人生の転機と感じました。店の雰囲気、接客、料理の見栄えと味、全てにおいて圧倒されました。接客面においては製造側の自分でも少しは理解していたつもりだった、「良い接客で美味しい物を売ればお客はつく」と言う一昔前の教えを覆させられ、時代と共に接客面、料理の見た目など変わっている事に気付きました。今は良い接客というのは当たり前の時代、美味しい物を提供の当たり前、+α付け加える事が小さな店だとしてもお客様は付いてくると感じた時、自分に出来る事、ケーキを作成しカットしてショーケースに並べるをお皿の上にオシャレに作りたてをだす、料理もそうですが、インスタ映えする様なネットに載せたくなる様な商品提供、これが最大の広告になると思いました。地元でこんな店があればな、自分が出せばいい、と思い目的ができ、今に至ります。
◆古民家の修繕工事の日程が平成29年末に決まり、開業の日が見えてきた。ただ、中身がない。子どもの中学受験が終わり、高齢の母が元気なうちに開業のノウハウを身につけ、開業しようと決意した。何から始めてよいかわからないので、商工会議所に相談に行ったりしたが、所詮無料相談アドバイスだけで、どのように実行していいかわからない。そんな時リライブフードアカデミーがあることを知った。行くしかないと思った。
◆昨年、病気になり、今までの人生、自分は幸せだっただろうか?悔いは残らなかったろうか?」と考えた時に「悔いが残る」結論になりました。退院後、知り合いへ会いに行き、上記の話をした時に「私の職業がカフェ経営に向いているのではないか?」と話をされて「高校時代に調理師免許を取得したい夢」を思い出し、この時から「カフェ経営」について気持ちが成長し始めました。また、定期検診で、病気についての話をした時に「病気の発症は毎日の食生活が影響する。食の欧米化も要因であるが、私は、食品添加物の摂取を、微量でも長年摂取すると、蓄積されて発症リスクが高まるので、添加物は摂取しないように心がけている」と話をされ、自分の中で「病気の経験を踏まえて、食の大切さを多くの人へ伝えたい」と思いました。社会人として20年勤め上げ、開業資金もある程度目途がついた為、開業への夢に踏み出す決意をしました。
◆自分も50代になり、これからの人生を考えたとき、「やらないで後悔するより、どんな結果であろうとやってみよう」と思った。ビジネスとしてなりたつかどうかの可能性は、正直まだ見えていないが、自分の想い描く夢の実現に1歩でも近づく「努力」を、まずしてみようと思っている。
◆ある程度の資金の確保ができた事と、改めてここまで得た経験を目標であった飲食業に生かそうと、業種転向を決意致しました。
◆早期リタイアが決まり、実際に動き出せる時間が出来たことが夢に踏み出そうとしたキッカケ、決意です。
過去の経験と前にも書きましたが、その時には飲食(カラオケボックス)を一回経営して閉店させてしまった経験もあります。 そういう意味では飲食に対するリベンジでもありました。その当時と比べて、今現在はさらに飲食関係は厳しい業界だと聞いております。しかしながら、個人店のような小さなカフェでお客さんがしっかり付いているお店も見かけます。簡単にリベンジといっても、気持ちだけでリベンジしたらまた前回同様にお店を潰すだけです。ですので今回は自分の経験だけでなく、基礎的なことを徹底的に勉強してからなら挑戦してみたいと思いました。その基礎的な勉強の部分で、リライブのような学校があったことがさらに現実的なキッカケ、決意を固められた要因だと思います。
◆最近では食へのこだわりから、友人と山へ春は筍、山椒、こごめ、わらび、ふき、田せり、クレソン、秋は銀杏、栗、3年前から畑を借りて野菜作りなどはじめて、沢山収穫できる野菜を料理して友人などに差し上げたときに、とても喜んで頂き、普段感じることの出来ない感動体験が、もっとたくさんの人にこの感動を味わってもらいたい、そして今私がこうして健康な人とほぼ同じように暮らしていられるのは、何より先人の人達がご苦労されて作ってくださった制度のおかげ様、日本の医療のおかげ様なんです。家族はもちろんの事、多くの人のおかげ様を、私が生きてきて得た知識と技術をもっと磨き上げて、たくさんの人へお返しのつもりで提供出来たらと考えました。普段外食をすると、とても塩分が濃いのを感じます。私のような投薬治療をしている者にとってとても困ります。そう言った観点からも持病を持って塩分、糖分、カロリー、など控えなくてはならないものがある人たちが、安心して外食できるお店をどうしたらできるかを、本を買って読んだり、インターネットで調べたりしていた時、こちらのリライブフードアカデミーを知り、私の分からない部分全てをサポートしていただけると、見学に伺い現在に至っています。
◆対象となる土地が発生したため。店舗建設に際しては、開発許可が取れることが前提であり、万が一、不許可の見通しとなった場合に備え、同土地で別の方法により飲食店経営ができるかを同時に試算したい。①開発許可により店舗建設し開業(&以下併用)②フードトラックによる経営(自己運営)
③フードトラックを取得し、車両レンタルによる運営④他者フードトラックに土地スペース貸し これら各初期投資および運営費用の比較検討を行うことにより、開発許可の可否によりどの方向性であっても、可能性判断ができると思われるため、開業を決意しました。
◆会社勤めをし、開業資金もある程度の目途がつき、退職後2年間で飲食店2店舗のキッチンとして働き、実務経験も得たため、再び開業の夢に踏み出す決意をしました。
◆このままではいけないと思い、情報を集める中でリライブのサイトを見つけ、漠然としたものを具体化できると考えました。自分のカフェについての形は固まっていませんが、カフェというスペースから広がる可能性を検討し、具体化したいと考えます。
◆30余年地方公務員として勤めた退職金も入ったので、家族に迷惑が掛からない範囲で、ささやかなお店を持てる目途が立ちました。中高年(高の方?)になって開業するお店なので、利潤優先というのでなく、(利益は出さなくてはいけませんが)ゆったりとした雰囲気のお店を持ちたいです。私の目指したい雰囲気を、快いとか、癒されるとか、居心地がいいと感じてくれるお客さんもきっといらっしゃることと思います。この想いを実現するためには、立地も大切です。市街地ではなく、すがすがしい空気の中でお店を開きたいです。
◆友達は多いとは言えませんが、長年の友達や一緒に仕事をしてきた同僚が、私を励ましたりアドバイスをしてくれています。彼女らが背中を押してくれたことも踏み出すきっかけと言えます。開業の時もきっといろいろ力やアイデアをくれるのではないかと期待しています。
◆今ある自分のキャリアに付加価値をつけるとするならば、「食と健康」という視点を加えることができれば、そこにコミュニティー(顧客層)を作ることができ、さらに今までのキャリアも生かせる場になるのではないかと考えました。
◆もともと健康意識の高い人なら、「食と健康」というテーマに対して興味を示してもらえるでしょう。平成20年度より開始となった特定健康診査(いわゆるメタボ検診)では、生活習慣病発症のリスクに応じて特定保健指導の対象となっており、今まで食生活を意識してこなかった人もそこに目を向けるようになってきます。
◆自分が作る小さなコニュニティーが、食を通した健康を提供する場所となり、さらに実践・継続可能な情報発信の場となれば”地域の健康”にも寄与することができると考えます。これからの自分にできることとして、そんな場所を作りたいと考え、開業に思い至りました。転職(資格取得)を考えていた時期に友人からの依頼があり、失敗しても今の人生よりマシだと思い決意しました。また、子連れ、犬連れをターゲットとしているので、自分の愛犬と出勤できること、また、夢であった保護犬を引き取り店で飼うことができると思いました。店に犬がいることで集客も見込めるし、犬と人(特に子ども)の触れ合いの場を作り、犬も人も救うことができるのではと思い決めました。
◆喫茶店やカフェは、長く続けているところもあれば、1,2年でお店が入れ変わるところもあり、厳しい世界だということを知りました。しかし、夢を夢で終わらせることができず、お店を継続させるためにはどんな工夫が必要なのか、お客様は何を求めているのかを常に考え、お客様にまた来たいと思われ喜んでもらえるような空間や料理を提供したいのです。
◆中核でやってきた業務の引継ぎや、業務の区切りのタイミングが来た際に改めて今後の生き方を考えた結果新しく自分の道を進みたいと思い至りました。また、ロードバイクで立ち寄った喫茶店以外にも、演奏会を催している喫茶店などに行ったことによって、人の集まる場としての喫茶店、県内外から人が訪れる喫茶店を開きたいという意識が高まったことがキッカケになります。
◆第二の人生を考える時期となり、カフェの開業を決意致しました。なぜカフェ開業を選んだか、実際に自分が必要としていたからです。30代以上の社会人はスキルアップのための勉強の場を必要としています。特にグローバル化が進む中、カフェ等での語学学習をする人が増えています。日本にいる外国人も同様です、更に日本人は元々学ぶことが好きな人種だと思うので、時間に余裕のある高齢者も学ぶ&リラックスできる場所を必要としています。日本の住宅事情に鑑みると家以外で集中でき、かつリラックスでき自分の時間を確保できるスペースが必要だと思います。そこで、社会人以上の方をメインターゲットとした集中してスキルアップできる場所、情報提供・情報発信ができる場所、仕事の合間にリラックスできる場所、提供する食も健康志向に合わせた食を提供する場所を作りたいと思いました。ゆくゆくはそのカフェでラジオ局を作り、ある一定の時間は韓国の人向けに韓国語の放送を、別の時間枠では中国の人向けに、インドの人向けに・・・等の放送枠を設け、都民ニュースや色々な情報の発信、悩み相談、その国の音楽を提供する等も行っていけたらと思っています。
◆学生時代に、和食レストランの厨房でアルバイトをしていました。それは、母方の祖父が若い頃、料理人をやっていたということもあり、飲食店でのアルバイトを経験してみたいと興味を持っていたからです。
そのアルバイトは、洗い場が中心でしたが、2、3ヶ月働くうちに、揚げ場と焼き場も任されるようになりまし
た。揚げ場担当のときは、社員さんが仕込みを済ませておいてくれた食材を使ってポテトフライや唐揚げな
どの調理をします。和食レストランですので、穴子の天婦羅、鱧の唐揚げ、田楽ナスの揚げ物などのメニューもありました。穴子の天婦羅は、社員さんからやり方を教えて頂きました。焼き場担当のときは、ほとんどが焼き鳥ですが、焼きはんぺん、ステーキ定食などもありました。焼き場は、ほぼ仕込みが終わっているものばかりですので、焦げないように焼くという作業が中心でした。しかし、飲み物と他のオーダーとのバランスで出来上がりのタイミングを見計らう必要もありました。料理の提供する順番を気づかったり、調理場というお客さんには直接見えない場所での心遣いが、格好いいと感じていました。裏方気質が好きです。
◆一つ目は社会人になってからお金をためて開業資金が目途がついたこと。40歳と言う年齢も考えた時もっと開業資金があればいいとの思いは山々だが、準備で人生が終わってしまうとの思いから踏み出そうと思った。二つ目は、体調不良から入院して会社を退職し本当にしたいことをすべきだと思った。美味しいコーヒーをだす店は沢山あるが「個人店」でお洒落な店は少なく感じる。(都内は省く)友達にお勧めの喫茶店教えてと言われ、チェーン店(スタバ、ドトール等々)勧める人はいないと思うが、ここにしかない強みが個人店はもてるのではないかと思った。個人店をやる意義は「ここだけ」いう希少性にあり、私もマーケットを拾える可能性を感じ今、踏み出そうとキッカケになった。
◆長く働いていると周りのお客さんからも「自分のお店をもたないのか」と言われることも多くなり、26歳という年齢で結婚や子供など自分に近いなと感じていたので少しは経験をつんできていて《今》が自分が動き出すタイミング・チャンスなのではないかと思い開業を決意しました。
◆息子の世話の手もかからなくなったことで自分の時間も増え、開業資金の目途もついた事が一番ですが、今は避難中で二人生活。家族や自分の居場所が欲しいと年々強く感じていて、自分らしいお店が欲しいと思うようになりました。カフェを始めたいと家族に話せたことで、前向きにもなり開業したい気持ちが固まりました。
◆大学を卒業して、職に就く際、いろいろな業界を検討しましたが、やはりどうしてもカフェの道に進みたいと思い、パン屋さんやカフェで仕事を始めました。退職をきっかけにカフェについて、また自分の実現したい形について、しっかり学びたいと思いました。カフェは、日常の生活にはもしかしたら必要のないものかもしれませんが、私はカフェに来ると元気になる、癒される、また頑張ろうと思うようになる場所であり、そういう思いを共有できる空間を作れたらと思っています。厳しい業界ですが、自分の決めた道を諦めず、自分自身成長し続けていけたらと思っています。
◆地域の近所の人たちのふれあいが減っている昨今、ここにくればみんなとおしゃべりができる、ここに来ると落ち着いて休憩ができる 元気のでるカフェができたらいいなと思いました。のんびりと自分だけでできるカフェが理想ですが、家業と並行してやってもいいのかなと思いました。新しいことを勉強するのは体力的にも年齢的にも今しかないと決意しました。今までは夢をもったことがなかったので、うれしい気持ちと 経験や年齢を重ねてきたことで 頑張れば出来るのかなと思えるようになりました。
◆現在の仕事に疑問を持つようになり、転職を検討しています。今後何をしていきたいかと考えるにあたり、選択肢として喫茶店経営を加えてみたいと思いました。また、学生時代以前の将来の夢として、教師に憧れていた時期がありました。自分の店としての独自性を考えたときに、学校の雰囲気と喫茶店を絡めることで、程よい懐かしさを提供できる店が出来るのでは、という構想に至りました。実現するために何が必要なのかを学んでおきたいと思い、行動を決意しました。
◆人生一度、挑戦もせず、失敗を恐れて何もしないと後悔すると思った。料理で伝えたいことがたくさんある。(歴史・文化など食にまつわるストーリー)海外旅行にもたくさん行って、日本の文化も勉強した。食文化はその土地の歴史書。料理一つひとつに意味を持つ。上辺だけの流行ではなく、ストーリーごと伝えたい。食べて欲しい料理がたくさんある。勉強してきた知識と、飲食店で働いていた時の経験を活かして、自分だけの食空間が作りたかった。まずは、自分に何が足りなくて出来ないのか知りたかった。アクションを起こさないとリアクションは返ってこない。出来ないと決めつけないで、どうしたら出来るようになるか、カフェを開業出来るかを考えようと思った。
◆10年以上看護師・保健師として働く中で、身体的及び精神的な悩みを抱えている方と多く関わってきました。対象者に心身ともに健康に、そして、笑顔になってほしいという気持ちは人一倍強いのですが、仕事上できることには限りがありました。
◆日本人の3分の2は「生活習慣病」が原因で亡くなっており、これは普段の生活習慣が原因で発症・進行します。偏った食生活や運動不足、ストレス、過剰な飲酒や喫煙など毎日の積み重ねによって引き起こされます。こうした状況から中高年だけでなく、若い世代にも健康志向の方が増えています。
◆カフェを開業し、塩分・カロリー控えめでも美味しい、野菜たっぷり等のヘルシーな食事メニューを提供し、人々の健康増進に寄与したいです。また、サービスやおもてなしを通して、お客様が抱えているストレスを少しでも軽減したいと考えています。
◆今年55歳になり、2カ月後の来年1月には56歳になります。死ぬまで働きたいとは思っておりますが、現役で頑張れるのは75歳くらいまでかなと。生涯時間が残り少なくなっているので、資金は全く不足の状況ですが、自らの構想、ビジョンの実現に向け、覚悟を決め、はじめの一歩を踏み出しました。
◆20代後半に突入したことや、結婚などをきっかけに数十年後、自分に自信を持っていられる仕事をしていたいと考えた。バリスタのライセンスを取得し、ドリンク等の知識も得られたことで自分の能力でお客さんを喜ばせられるような仕事を始めたいと思い、もう一度飲食サービスの仕事にチャレンジしようと思った。
◆子供が生まれ、子供には夢に向かって自分の思う通りに進んでほしいと思ったときに、そういう姿を見せたいと考えました。また、開業資金もある程度は目途がついたので、開業したいと思いました。
◆子供の成長と共に家族の将来を考えた時に何か資産を残してあげたいと思うようになりました。
きっかけは配偶者、長女が「お店をやってみたい」という夢があった事。自らも過去の経験から飲食店経営
について強い想いが再び湧いてきた事もあり家族で協力してできるならビジネスとして「飲食店を経営する」事も可能であり、資産として永続的に家族の将来に寄与すると思い決意致しました。
◆もともと妻と一緒に5年以内を目途にどこか場所を決めて開業したいと考えていました。そんな最中に岩手に住む祖母が一人になったため、家の敷地を利用してカフェを開業してはどうかと親戚からのすすめがありました。それが具体的に動き出すきっかけとなりました。家賃がかからないこと、車社会の田舎の中では比較的アクセスが良いこと、まわりにライバル店がほぼ進出していないこと等にもビジネスの可能性を感じました。
◆①温浴施設に転職後、勤務先や休日に行く様々なお店を見るにつけ、「暮らしの中で癒しを求める人」がいかに多いかを日々実感している。高齢化が進む社会、正規雇用・非正規雇用を含めていろいろな働き方が増える社会の中で、目に見えない「癒し」というものを提供するビジネスのニーズは、今後も高まっていくと思われる。
②現在温浴施設のマネージャーを務める中で、経営者のモノの考え方に触れる機会が増えた。オーナーが従業員に対して発する「癒しを提供するという使命感やプライドを持って仕事をしてほしい」という言葉を聞き、「自分もそんな使命感やプライドを持って、自分のお店を経営したい」と考えるようになった。
③自分自身も疲れたときは、栄養補給と気分転換を兼ねた休日の飲食(食事とデザート)が何よりの楽しみとなっている。世の中の疲れた人々に対して、おいしい食事と食後の甘いデザートを提供し、リフレッシュしてもらいたいと思う。
④自分もパートナーも、不規則な勤務形態で長時間労働になりがちであるが、節目となる40代に入り、現在の生活から転換し、より充実した毎日を過ごしたいと考えている。
◆いつまでも考えていても仕方がないので、まず出来る事から始めようと思いプランニングを始めることに決めました。
◆アニマルセラピーの事をしり、動物に触れることで人は癒され、リラックスでき医学的にも推奨されてること、セラピー犬を病院で扱い始めた事などを受け動物を飼えない人達が、ゆっくり触れ合える空間を作ることは出来ないかと思い始めました。ただ、あまり高い料金にはしたくないが、安くするとビジネス的に難しい。動物以外に、採算を取れる方法を見出し、その上で動物に会えることを強みにした店にしたい
◆現代の日本では健康ブームが日に日に強くなっている傾向があると思います。それによりメディアでこれさえ食べれば健康になる、あれを食べれば害がある、という風に特集されては鵜呑みにするという流れが生まれ、健康こそが幸せのすべて、健康のために食事を選ぶという雰囲気が生まれてしまいました。私個人の意見としては、食事はおいしく食べ続けるために健康が必要なのであり、そのためにどのように工夫して食べていくかということが重要なのだと思います。現代となっては、少し例外はあるかもしれませんが基本的に食べてはいけない食べ物などありません。ただ気にしてほしいことが二つだけあり、一つは様々な食材を適度な量とバランスで食べること、もう一つは食事の時間を丁寧に過ごすことです。鮮度だとかオーガニックだとかも、もちろん大切な要素です。けれどもそれらの前に気にすべきは炭水化物、たんぱく質、脂質といった三大栄養素であり、そこにビタミン、ミネラルを加えた五大栄養素をバランスよく食べることだと思います。そこに適量甘いものを食べることも嗜好飲料を飲むことも決して悪いことではないでしょう。食事の役割は栄養摂取だけでなく、心を豊かにして幸福感をもたらすことだと私は思います。お客様に食事を提供する側にまわることで、そんな食べ方を浸透させていきたいです。大学生活を過ごすうちにカフェやコーヒーショップで同い年くらいの店員さんが自分の夢の実現のために努力をしたり、やりたいことを素直に口にだしている様子をたくさん見ました。それを見ていて、私ももっと自分の夢に自信を持ってもいいのではないか、素直な気持ちで挑戦してみても良いのではないかと感じるようになり、カフェ開業に踏み出す決意をしました。
◆1.現在、アニメやマンガ、キャラクターが日本の文化として認めらてきた環境の中で、「キャラクターカフェ」も相当受け入れられるようになってきた、むしろ「流行」といえたり、キャラクタービジネスの定番パターンの
一つになってきていると感じていました。現在の会社では自社キャラクターブランドがいくつかある中でそういった展開はあまりされていないので、新しいことへの取り組みは自分としてもモチベーションが上がり、また、社会の環境的にも可能性が感じられると思ったからです。
2.自分はこれまで今の会社で「トランスフォーマー」に深く関わってきて、それなりの知識と経験とファンの間での知名度があるのと、ハリウッド映画の新作も2017年から3年連続で公開されたり、2018年は35周年だったりとタイミング的にも提案しやすい環境でもあるので、そこへの開業を目線に具体的に動ければと思った次第です。
3.会社での提案が失敗しても、知識を身につけておけば独立開業にむけて家族も説得しやすくなるとも思ったのも受講を決めた要因の一つです。
◆子育てをしながらも、お友達とカフェに行ったり、一人で行ったりとお店めぐりをすることが大好きでした。その店の味はもちろんですが、店の雰囲気や客層、働いている人の接客や仕事ぶりなども気にしてみるようになっていて、自分の店を持ったらという想いが強くなりました。自営の仕事の減少により、違う分野で何かないかという話になった時に、すぐに思い浮かんだのがカフェでした。会社のバックアップがあり、1から勉強してカフェ開業の夢に踏み出そうという決意をしました。
◆実家の都合のため仕事を辞める必要があり、実家からあまり離れることができなくなったので思い切って起業しようと思いました。開業資金にも目途がつき、さまざまな書籍を探るうちにいくつか試してみたいアイデアがあったのでカフェ開業の夢に踏み出す決意をしました。
◆現在、コンビニコーヒーのように、一杯100円程度で気軽にコーヒーを飲むことができます。しかし、私は一杯一杯丁寧に淹れたコーヒーを、落ち着いた空間とともに提供することで、心も休めることができる喫茶店を目指します。公務員として23年間働いてきましたので、開業資金はある程度の目途がつきました。あとは、リライブで基礎の技術・知識を身につけ、また実践を積み、カフェ開業という目標に向かって挑戦する決意をしています。
◆自分がカフェや喫茶店を好きなので、業態は様々ありますが「食」に生産者として関わりたいと強く思い開業を目指す決意をしました。音楽を勉強していた高校生の時、プロの演奏家が生演奏をする飲食店はあっても学生が演奏できる飲食店は少なかったので、学生でも利用できる、音楽と食を繋ぐカフェのお店を開業したいです。
◆前職はサービス業でしたが食品にかかわりありませんでした。三年前に会社として初の食品サービス業であるベーカリーカフェを出店するおり、第一号店の担当を任され自分自身も初めて食品サービス業に携わりました。カフェの責任者として、もっといい管理体制や方法があるのではと思いながらも食品サービスは全くの素人だったので何の知識も相談できる方もなく不甲斐ない時間が過ぎるばかりでした。また、かかわるうちに忘れかけていた夢への思いもふつふつと同時進行的に湧き上がっていきました。最初は会社のために働きながら少しでも専門知識を培おうと探していたところリライブに出会いました。
働きながら勉強しようと検討しましたが、仕事が忙しく週に1回の通学もままならず一旦は断念しましたが、しばらくして体調を崩し入院しました。手術後のベットの上で、こんなに苦しい思いをする前に勇気を持って夢に踏み出すべきだったのではとの思いが脳裏をかすめ我慢できずに退院後すぐにリライブを再訪しました。小川先生&鷲尾先生と面談し、お話させていただくうちに私のような人間でもチャレンジできるかもしれないと心動かされ踏み出す決意をしました。
◆ビジネス的にも規模が小さな店舗ではあるが、それなりの立地であるので、「(接客や清掃を)ちゃんと
(それなりの商品やサービスを)しっかり、やれれば」、(当時)得られている収入までいける可能性を
感じ、叔母と父親の高齢化、自分自身も全く新しいことに取り組み、生活の糧にするため施行錯誤を行うだけの気力と体力がある今のうちが最後のタイミングであると考えたため。
◆小石川後楽園の現場が完了したことが大きなキッカケです。また、2020年の東京オリンピックが決まり、アートマネジメントについて、再び世間が注目しはじめていることも決意する理由のひとつです。今後、さらにアートマネジメントに注目が高まれば、日本庭園もカテゴリーに入り、注目が高まると考えています。
◆安価で美味しいコーヒーを家庭やオフィス、コンビニ等で手軽に飲める時代になり、飲食業界における競争も一層激化しています。また、消費税増税による消費者の購買意欲の減退も懸念される中ではありますが、逆にそんな困難な時代だからこそ自分の力で地域経済にどれだけ貢献できるかを試せる絶好の機会であると考えています。少子化だからこそ周囲が懸念する教育業界にあえて参入したときと動機は似ています。開業した学習塾も4年目を迎えてある程度地域に根付き始め、経営的にもやや安定してきました。また、4月から正社員を1名雇用できたことから、カフェ開業の夢に踏み出していく決意をしました。