計画〔プラン〕は誰のもの!
リライブのプランニングの授業においては、大体この9月の時期や3月といった時期には、
アドバンスクラスやプランニング集中クラスの受講生の人達は、
これまでの授業の成果をまとめるために、それぞれの事業計画書を作成するという授業に入ってくる。
自分の考えやプランをまとめるというのは、非常に大変なことではあるが、
受講生の人達がまとめる計画には、
それぞれの開業に対する想いや考えがつまった非常に素晴らしい出来のものが多く、
私自身、非常に刺激となるものだ。
でも、考えてみれば、計画というのは、誰のために作るのだろうか?
融資を受けるのであれば、銀行や日本政策金融公庫などの金融機関のためのもの?
職場であれば、上司に提出するためのものであるので、上司のため?
それとも、お客様を想って作成するのであるので、お客様のためのもの?
いずれも当たっているのではあるが、
やはり、計画を作るのは自分自身のためという想いが大切だとおもう。
私の以前の会社の同僚がフリーのコンサルタントをやっているのだが、
この間、そのブログにこんなことが書いてあった。
「私は、楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだ!」と・・・・
彼がどういう想いで書いたのかは短い文面の中だけでは、伺い知る事は出来ないが、
おこがましいようだが私は非常に感銘を受けた。
それは、「楽しい」という感情の動きでさえ、自分のものに出来るのだと・・・いうことでもある。
「楽しい出来事」というのは、一般的に回りから沸き起こるものであり、言わば受身なものである。
これを、自分のものに出来れば、人生は楽しくなる。
そして、「笑う」という行為は、自分の中にある。
笑うという自分の行為で、人生が楽しくなれば、『楽しさは自分と共にあるのだ』
これは素晴らしいことではないか?!
考えて見れば、会社や職場で、私は良く笑うようになったと自分では感じている。
自分で言うのも何だが、トップが笑うと職場はちょっとは明るくなるように思う。
計画もそうで、、、
他人に与えられた受動的な計画と、自分でつくった主体的な計画があるように思う。
そして、計画というのは、無から生み出されるものではない。
例え創業の計画であっても、自分に必要な収入、そして、製造できる能力などの
前提条件や制約条件があって製作されるものである。
自分が自ら企画して提案する計画は楽しい、
そして人から与えられる計画というのはつらい・・・・
計画には何にも罪はないのに・・・・・。
そして、計画は勝手に出来るものではないのに・・・・
行動が伴わない計画は無意味である。
なぜなら、計画とは行動するための地図であり、道標だから、
行く予定がない所の地図には、地図としての意味はない。
もちろん趣味や絵としての意味はあるかもしれないが、、、
だから、計画を自分のものにする!そしてそれに伴う行動をする。
これが大切なことではないだろうか?
昔の人は言っていた〔笑う角には福来たる〕。
そして、〔正しいプランには成果がついて来る!〕